せいたかばあの腰湯と見合せ丸



子やとの頃のある日、珍しい客が嬉しくて、おかばえかやして、客を困惑させ、見かねた母親が「お茶でも入れて来い」と言えば、まだおかばえかやしていた私は、父親の大きな湯飲み茶碗に、サービスとばかりなみなみと、それはもうなみなみと、持ち上げられない程お茶を注ぐ。客はそれを見て「まあ、これは、せいたかばあの腰湯じゃね」と言いつつ、眉をひそめながら、「これじゃあ、口から迎えに行かんと飲めんじゃあ」と、飲まずにおく。客は帰りしなに「あんたには、今度来る時には、みあわせがんを、買うて来て上げんといけんね」言った。

みあわせがんは何か分からんが、あのオバサンは今度来る時には、何やら買って来てくれると言ったぞと、へらへらしている私に、鬼の形相の母親。「あんたはあねえに恥をかかせて、バカめかれたのが、分からんのかね」と言うのに対して、世間知らずの私、「オバサンは、喜んじょった。今度来る時には、何か褒美を持って来てくれるちゅうた」と口ごたえ。ため息とともに、ますます怒った母親が「ええで、せいたかばあの腰湯ちゅうのは、背の高ぁいバアサンの腰まであるほど、注いであるちゅう、飲みきれんほどいっぱいお茶をいれたあんたを笑う言葉。みあわせがんちゅうのは、ちょうどいい頃合いを知らん者に、頃合いの見合せができるようになる薬の事で、オバサンはおかばえかやすあんたを、笑うて帰ったの」と。

そこでどこまでもおめでたい私は、密かに「おお、世の中には、そんなにええ薬があるんかぁ、それなら何も考えんでも、その薬を飲んだら、ちょうど良い事が出来るんだ。見合せ丸、買うて貰おう」等と、すっとこどっこい。怒り心頭の母親に向かい「見合せ丸を買って」と言い出す私に呆れかやした母親が「見合せ丸は本当には、無いの。まあ、祭の時に行ったら、天神さまで売っちよる事があるかも知れんそうな」と聞いてから、もう60年。

相変わらず見合せ丸が必要な私。まだ天神さまには、見合せ丸を売っちょるかしらんと、空を仰ぐ日々。

(H29.3)