昭和の情景から




この前、妹が宮本常一の「昭和の情景」という本を貸してくれた。

そのなかに呉市豊島の写真に、赤ちゃんが藁で編んだ丸いツグラという篭のような物に座った写真がある。篭のぐるりには赤ちゃんを傷つけないためだろう、上の縁は布で囲ってある。「こうして母親の手を取らせぬように工夫して、親は働いたのである」と記してある。そう、確かにこうした風景は我が島にもあった。島でもやはり藁で編んだ「ホボラ」※1がこのツグラの代わりだった。ホボラの場合はその構造上真ん中に藁の先が盛り上がっている。藁を横に編み上げるツグラと違い、ホボラは藁を縦に使って編む。その端を結んで円形にし、底は真ん中に余った藁の先を集めるため、そこが盛り上がっている。このままでは赤ちゃんの足が痛いから、その盛り上がった所へはボロを敷いてそれを挟むように赤ちゃんを座らせた。そうして足にはおいばんてん※2を掛けてやり、「ええかあ、泣くなよ」と言いおいて畑仕事に掛かる。

忙しゅうにがしりよる※3けん、少々赤ちゃんが泣いた位じゃあ母ちゃんは来ちゃあくれん。ようやく一段落着いて、父ちゃんがタバコども吸い始めたら、ようやく赤ちゃんに乳をやりに母ちゃんが戻って来る。母ちゃんとて赤ちゃんの泣き声が聞こえる度に、乳が張ってならんのじゃが、周りに気兼ねて赤ちゃんの所へは来ちゃあやれん。待ちかねた赤ちゃんは、張って痛い乳にもぶりつく。その一心に乳を飲む赤ちゃんの顔を見ながら、母ちゃんはほんのいっとき、辛い仕事も忘れてささやかな幸せをかみしめる。

あの時代、子も親もよう辛抱した。つい忘れそうになるちゃあね。時代の奥底にあった宝のような時間を。

もう一枚、香川県笠島。すでに過疎化が始まっていた島の家の前で草履を作っている老婆を写したもの。文には「働くことを当たり前に生きて来た人たちである」と書いてあり、日に焼けた顔、夏なのであろう上半身裸でシワが寄り垂れ下がった乳を隠すでもなく、草履作りの縄を片足に掛けてなっている。

そう、こうした姿もかつてはあった。すっかり忘れていた。乳の事より働くことを当たり前に生きて来たばあ様達が懐かしい。


※1「ほぼら」藁で編んだタライ状の袋

※2「おいばんてん」赤ちゃんを背におぶった上から着るハンテン。防寒・養護のために用いる。

※3「がしる」余裕もなく働く様子


(H30.5)