海辺のアルバム



写真といえば、昔は貴重なもので、年に何度も写るものではなかった。私なども最初の写真は、一歳の祝いにと写真館で撮ってもらったもので、それから後、暫くは写真はなく、次は母が手縫いのワンピースを着て、口を真一文字に結んだ、いかめしい顔の五歳頃のが、登場する。

写真を撮って貰うじゃから、笑いなさいと何度も言われたらしいが、とうとう笑わず終いだったと言う一枚だ。小学校入学に一枚。遠足修学旅行で何枚か。なので、一枚一枚に思い出がいっぱい詰まっていて、その一枚を見るだけで、その時折々の出来事が、鮮やかに蘇る。たとえば、馬島の学校の落成祝いの一枚。すでにそこに写っている人の、ほとんどが彼岸の彼方に旅立っているけれど、それぞれが趣向を凝らして、その時代一生懸命の仮装で、チリ紙で作った花を頭に飾り、子供の鮮やかなへこ帯やふわふわのネグリジェをはしょってピエロに扮したり、日頃口紅ひとつも着けた事のない母ちゃん達が、行列をくんで、練り歩く。また、一枚には、学校の草刈りの後の記念写真、人数が多くて、自分の母ちゃんがどこに居るのか、豆粒ほどの中から探してみれば、母ちゃん後ろの方でかお半分しか写ってなかったり。婦人会が、菊の栽培を始めて、出荷前の菊を前に誇らしげな母ちゃん達の顔がならぶ。その時代毎の、記録とも言える父母の祖父母の写真達。下って今、携帯電話やスマホ、パソコン、デジカメには、夥しい写真がある。自分自身も三千枚も保存された写真の始末が出来ず、使えもしない携帯電話を持っている始末。

いつぞや聞いた終活の話に、残されて困る物の中に、写真というのがあり、我が家の写真の量を思い浮かべて、さもありなんと思うに至り、写真の整理を始めているものの、眺めていると、子供達の可愛かった頃が懐かしく、若い自分が懐かしく、とても整理出来ずにいる。しかし、その内、我が家用に一冊、子供達に一冊づつ、それにその頃思って作った短歌を書いて、残しておき、後はわが身が叶う内に始末しようと考えている。公民館にも、懐かしの写真があり、多くが劣化しているので、これも差し上げる人があれば、引き取って頂き、あるいは島のアルバムに出来ればと思ったりする。海辺の民のアルバム作り、目下の私の目標でもある。

(H29.9)