はるか昔、この島に人が初めて上陸した時、ここは見渡す限りの葛の原じゃったという。そこで島の人達は、葛原親王という桓武天皇の第三皇子を御祭神として祀ったのが、葛原神社の始まりと伝わっているね。
時は移り今に至るが、すっかり人口の減った島の景色は、彼(か)の頃に戻ったように葛が繁茂するばかり。ほんの三十年前までは、自然豊かな島じゃったのにね。四季折々に野の花が咲き乱れ、それが当たり前の暮らしじゃった。それがどんなに有難い事か、気付きもせずに通り過ぎたのだと、今更ながらに思う。
ふと気付けば当たり前に見ていた、沢山の花逹がどこにも無い。山が荒れるに従い、草花は姿を消している。例えば野菊。島で野菊と言えば紫の野紺菊の仲間だけど、この頃見掛けるのは皆同じじゃあなかろうか。前は花の付き方も段に咲くものや枝分かれした枝ごとに花を付けるもの、春と秋の二回咲くものと、色々あった。二十年位前に隣のおばさんが「この頃、野菊の先だけに花を付ける背の高い分を見たかね」と聞くので、ふと気づき「そういえば無いね」と答え、気になった。おばさんがいう野菊は島では珍い種類で、ダルマシオンのような佇まいながら、それと違い直幹の先だけに沢山の花を付ける種類だった。その頃さえ珍しかったので、今はもう完全に無い。そして誰も名前も知らない。
こうしていつの間にか姿を消したものがあるのではないかと、気にしてみると大変だ。本当に大好きだった花逹の姿が無い。春に御大師様を周る頃、ある田圃の法面を薄紫に染めていた猩々袴や、道すがら目を楽しませてくれた山ツツジ。秋になれば、フジバカマ、センブリ、秋の麒麟草、大好きな竜胆筆竜胆。他にも見かけなくなった物に、宵待ち草、ネジバナ、強羅、浜エンドウ、弟切草、ウツボグサ、春蘭、南蛮煙管、ハハコグサ、春の七草の方のホトケノザ、などなど、いつの間にか無くしててしまった沢山の花逹。
島のどこかには、まだ残っていないだろうか。島の歴史の傍にひっそりと彩りを添えていてくれていた花達は。
もはや二度と会えないかも知れない自然の仲間逹。暮らしに追われる日々に、ふと目をやるとそこに静かに咲いていて、心慰めてくれた花逹。
時代の流れのせいだけにするのは余りにも切ない。せめて忘れずにいよう。私の人生の折々に寄り添ってくれた優しい花達を。ありがとうとごめんよを込めて秋の空を見上げる。
(R1.11)
Comments