Aちゃんの九死に一生物語



 (Aちゃん、二十歳の頃を思い出しながら語る)

うちはその頃は石船をせちょった。石船ちゅうのは、分かるかいね。石を運ぶ船で、両舷には棚もなんにもない船で、積荷の石の上に、大石ちゅう船のバランスを崩すための石が積んである。荷を崩す時は、その大石を片側へウェンチンで吊って船を傾けて一気に石を転がし落とすように造られた船の事いね。ある日、そんな船で、新婚の私ら夫婦とじいちゃんの三人が関門海峡にさしかかった時のこと。まだ潮の流れが速うて、どの船も潮待ちをせちょったが、じいちゃんが「これ位なら、潮を見りゃあ通られようでよ」ちゅうて、船を動かしたんよ。私は船の後の方で、里芋の皮でもむいちょったろうかね。それで船が流れに入った途端、潮に引き込まれて、船が大きく傾いたのいね。それで、大石は、はずれるし、石は皆転げ落ちて、私は海に放り出された。必死で手足を動かした。泳ぎはできたから、溺れはせんかった。船の方は石が無うなって、軽うなったもんじゃから、潮に乗って、スーッと遠くまで流されてしもうて、私は関門海峡の速い潮のただ中に残されてしもうたんよ。必死で手足を動かした。目の前に、あの時一緒に落ちた、伝馬が浮いちょったが、その伝馬まで、近付こうにも潮に押されて、ちっとも近付けん。死ぬるかもしれん。そう思いながら、必死にあがいた。石船の方から、Nちゃんが「伝馬に乗れー。伝馬まで行けえー」ちゅうて、大声で叫ぶんが聞こえた。

それに励まされながら、潮に流されては、泳ぎをくり返しながら、何度も死ぬるかもしれんと、あがく内にどうにか伝馬の縁を掴むことができた。十月頃の事じゃったろうか、着物が重とうて、伝馬の上には上れんかった。ただ必死に伝馬の縁を持っちょった。どうにもならんまま、時間が過ぎたが、その時、運のええことに、宇部沖の事故から帰りの保安庁の船が通り掛かって助けてくれたんよ。「奥さん、よう頑張ったね」ちゅうて、保安庁の船に乗せてくれて、風呂にも入れてくれた。私が風呂に入っちょる間に、私の服は、機関場できれいに乾かしてくれちょった。機関場は、エンジンの熱があるけん、早う乾くんじゃね。上陸させて、迎えに来てくれたNちゃんの顔を見たときは本当にうれしかった。じゃが、履物は流されて、無かったけん。裸足で一緒に歩いたんは恥かしかった。

 あれから何十年じゃろうか、生きちょったおかげで今でもNちゃんと一緒に生きちょる。つくづく幸せな事じゃと思ういね。

(Aちゃん語り終える)


(R2.5)