蠢くもの
- rainoshimaoz
- 10月15日
- 読了時間: 2分
更新日:4 日前

私が10歳あまりの頃の話です。
たんぽ、ちゅうて分かるかいね。島では水路の事をそう呼びよったね。馬島地区には特に多くて、何本ものたんぽが集落の上から海まで続いちょった。日頃は少しの水が流れるばかりのたんぽじゃったか、高潮や台風の時には逆流して、大分上の方までタプンタプンと塩水が
来よった。
ある夏の夕方、一人の女の人が用があって知り合いの家に行こうと、たんぽの横の道を歩きよった。「今日は大潮じゃから、潮が高いのう。ここまで水がきちよる」と思いながら道を登りよったら、階段になってたんぽが切れる所に、何やら見慣れぬものがある。それは真っ黒でヌラヌラ水気が多いようなものが、たんぽの壁に引っ付いちょるように見える。動くとも見えんから、「誰かゴミを捨てたに違いなあ」と思うて近づいていくと、ぬるーんとそのものが動いて、階段の横のたんぽが縦になっちょる所を登ろうかというように手のようなのを上側にペターッと動かした。手のような、ちゅうが、ただ真っ黒、爪も無けりゃあ、関節も無あような。たまげて足もなんにも動かんようになった女の人が尚も見ちょると、坊主のような真っ黒な頭が振り返って、こっちを見ちょる気配。「さてはこれがえんこう坊主じゃろうか」と思いながら後ろへそろっと下がろうとせよったら、えんこう坊主の首がニョーツとのびてクニャンと下向きに落ちるかのような、その中で目が開いてこっちを見たような、途端に背中から毛が逆立つようになった。動かんかった体が跳び上がって後をも見ずに走る走る。家に飛び込んで震えながら話す妻に、「バカタレが、こやとに(子供)せがわれた(からかわれた)のいや」と父ちゃんはてんで相手にせんと鼻先で笑う。絶対見たといくら妻が言い張ろうともてんで、相手にせんのを見て、黙って聞いていた婆さまが、「不思議ちゅう言葉があるちゅう事は、何か分からん事も有るちゅう事じゃろうでよ」と呟いた。
次の日から島中で、えんこう坊主の話が広がった。そうすると、中には同じようなものを見たという人が何人か出た。
みんな夕方暗くなる寸前の時間に、たんぽで真っ黒な坊主を見たというものだ。しかもそのたんぽは同じたんぽではなく違うたんぽだと言うではないか。しばらく女子供は暗くなってからは外には出なくなったという。
(R4.9)
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