島に春が来て、山桜が咲きソメイヨシノが咲き、美しく彩られた山を見上げながら、島を網の目のように繋いでいた細い道を思う。
まず、ソメイヨシノが満開の一番のお大師様の上を行く道。少し上がると天狗ん松が聳えている足元に何番目かのお大師様の祠、そこをすぎて森の中の落ち葉が厚く積もった窪道を行く。ひと足早く咲いていた山桜が、頭上遥かから雪のように花びらを散らす道。この森には二箇所にお大師様。森を抜ける、少し開けて左右に段々畑。
同級生の畑や余り口をきいた事もないバー様の畑の間の道を尚も登ると、我が家の畑、島の天辺の畑に着く。親達が忙しく芋掘りをしている横で、畑の境目にあるイシャシャキ柴の枝に座って、ブワンブワン揺れながら『船の上ー』とか『ピアノー』とか、その辺りにいる同い年の子達と飽きもせず遊んだ道。その道はあちこちに枝分かれしていて、真っ直ぐ集落に戻れる道、尚も少し登って我が家の木山に届く道、反対側に降ると柳ヶ浦まで届く道。下の方の柳ヶ浦に行く知り合いに山の上から『おーい』と声をかけて、何処から聞こえる声か分からず、キョロキョロと辺りを見回す姿を見て、山の上で大笑いしたり。
男の子達はこの天辺の畑から、段々畑をどんどん跳びおりて瞬く間に家のある集落まで下る遊びに飽きる事なく興じていたものだ。
その天辺からまだ道なりにくだると、黒矢様に出る。眼下は山姥が居たと伝わる洲島。春は蕨やぜんまいを採りながら歩き、二季のお大師様巡り、節句にレンゲ畑を求めて歩き、島の道には子供の私がそこ此処にいる。もちろん麦を担ぎ芋を担ぎ、こったスクドを担ぐぎばった私もそこにはあるんだけれど。
そんな道も今はどこまで辿れるんだろう。足腰の弱った我が身と猪と過疎とのトリプルパンチの島の道。毎年、冬になったら家族で登って見ようと言いながら、今年も出来ぬまま春も過ぎゆく。
(R4.4)
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