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山の家

  • rainoshimaoz
  • 1月6日
  • 読了時間: 3分

その昔、我が家は突然島の中腹に家を建て、引っ越した事があった。どうやらご近所トラブルで母が参ってしまって、逃げ出したものらしい。そんな事など一向に知らされぬまま、子供達は引っ越しとなり山の上から通学となった。家を出るのも、他の子供達より三十分くらい早く出なければならないし、寒い時や雨降りなど、細いくねくね道を一歩ずつ登るせんなさ。それでも、子供は慣れる。その内くねくね道をマンガを読みながら帰ったり、途中で野いちごを摘んだり楽しみもみつけた。が、帰っても親は居ない。父は船乗り、母は工事に出てまだ帰っていないのだ。そこで、帰るのが早い子が、ランプの灯を点ける。それは大概弟の役目で、次に妹、母、私の順で帰宅する。ある時、弟は海に落ちずぶ濡れになった。気の毒がったオジサンが親切に「ウチの風呂に入って帰れば」といってくれたのに、「すぐ母ちゃんが帰るからええ」と断って山の家に戻ったという。

帰った母ちゃんが喜ぶようにと風呂まで沸かして待っていたが、中々帰って来ない。自分は濡れて寒いのに母ちゃんと風呂に入ろうと待って待って、待ちくたびれた頃、ようやく母ちゃんは妹と二人、宮の祭りを見て帰ったそうな。途端に「母ちゃんのバカ」と飛びついて大声で泣きに泣いたという。母も「可哀想な事をせたと思って、ワシも涙が出て、一緒に泣いた」と思い出しては話していたものだ。ランプの暗い明かりの中で宿題もしたし、本も読んだ。時には山の中の一軒家という事で、カメラマンの方が島の写真を撮って歩く途中で寄られ、母娘三人写真に撮ってくれて、後日送って下さった事もある。その写真は今でもアルバムに大切に貼ってある。またある時は、暗くなって畑から下りて来たおばあさんが、びっしゃ。使ってない※ダイツボに落ちたと言う。二月の一番寒い頃。ガタガタと震えて顔色も真っ青。このまま帰ると言うのを引き止めて、お湯を沸かしてお茶を飲ませて足をお湯に浸からせて、こおり餅を焼いて食べさせて、綿入れを貸して帰したそうだ。後に「あの時のお茶の美味(うま)かったこと。足を温めて貰うて生き返った様じゃった。あのままなら、帰るまでにワシは死んじょったかもしれん」と何度も礼を言っていたそうだ。人里離れた所に住んでいたからこその思い出も多い。何より夜空の美しさ、星の輝きがまるで違った。本当に手を伸ばせば触れるくらいで、吸い込まれそうだった。見晴らしも良かった。

巡航船が戻るのも逐一見えたので時計がわりになったし、夜は家々の明かりがきれいに見えた。

その頃、インスタントラーメンが出て、自分で作ったラーメンを山の家から集落を見ながら食べるのがマイブームだったなあ。父が何処からか鉄製の丈夫なベッドを貰って来て、それを置き座にして、夏場涼んだり、その上でピクニック気分でご飯を食べたり。子供心がワクワクする経験をあの山の家での何年かでさせて貰った。残念ながら、旱魃(かんばつ)の年に水不足になり離れてしまったが、私の心の二十パーセント位は山の家にある。時々無性に思い出す山の家、足が動く内に行ってみたいと願うこの頃。


※肥溜め


(R5.7)

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