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やいとぉ

  • rainoshimaoz
  • 12月1日
  • 読了時間: 3分
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子供の頃、法事などで人が集まる時、日頃と違う雰囲気にはしゃぎ回るのは子供の常で、料理を作ったり、座布団を並べたりする大人の間を走り回る。最初こそ笑いながら「おとなしゅうせちょかんにゃあ」と声を掛けるも一向に止まない子供らに、日頃口数の少ないジーさんが「おとなしゅうせんにゃあ、やいとぉすえるでよ」と一喝。その言葉に子供達、一瞬にして動きが止まる。年嵩の子供達はしおしおと隅に行き、小さい子達はキョトンとしながらも、大きな子達に倣って隅にかたまる。

やいとぉ、お灸の事だ。こうした時、大人達はかんの虫を抑えるとされていたツボに灸をすえて、見せしめとしたきらいがある。ある時私は大人2人に押さえつけられて、灸をすえられた男の子を見た事がある。「やらんけん、はあやらんけん」と言いながら泣く子の拳固の小指だったか、人差し指だったかの曲げた第一関節の上に百草(もぐさ)を置いて火をつけられた途端、ギャーと言いながら泣くのも忘れて火の着いた百草を睨んでいた男の子。大人になって考えると、その百草は凄く小さくてじきに燃え尽きてしまったのだけれど、子供に取っては大人2人に押さえ付けられて、しかも火を付けられる恐怖は鮮明に残り、やいとぉと言われた途端すくみ上がるぐらい効果覿面(てきめん)だった。大人達もそこは心得たもので、最終手段としてのやいとぉを繰り出してきたものだ。今なら虐待だと大事になりそうな話だ。

これはこれで昔話になりつつあるけど、お灸としての本道の話も沢山ある。私の叔父は若い頃酷い喘息で、発作が出ると布団で横になって寝ることも出来なかったそうで、畳んだ布団にもたれて寝ていたそうだ。子供心にも布団にもたれて苦しそうにいている姿を何度も見ていた。そんなある日、百草売りの人が島に来て、喘息の灸の※ツボを下ろしてくれたと言う。「このツボをひと月位、毎日灸をすえてあげるように」と言って、その間に使う百草を売って帰っていったそうだ。ツボを下ろした分の代金は受け取らなかったそうで、祖母などは「あれであの人は儲けになるんじゃろうか」と度々口にしていた。叔父の喘息が治ってからは尚の事。昔はこうした商売があって、私の母も背中にヨウと呼ぶ悪性の腫れ物が出来て伏せっていた時に巡ってきた百草売りの人から、手当ての仕方を教えて貰って命拾いしたと話していた。

その時など、ヨウの周りに味噌で堤を築きその中に食油を注ぐというものだったそうだ。その内ヨウからわくわくと膿が湧き出て、楽になるのが分かる程だったと言う。後年母の背中にはまだその時の傷痕が残っていて、「背中の真ん中にヨウが出来ていて、このままだとこの子は死ぬると百草売りさあが言ったんと」ひとつ話にしていた。その時も多分百草代しか受け取らなかったような話だった。昔の人の背中や腰、足などには灸の痕が残っていたと思うが、今は余り見ないと思う。知る人も少なくなった

百草売りと灸の話。 ※場所を決める


(R5.3)


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