釣り好き、じゃが魚は何処
- rainoshimaoz
- 12 分前
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フェリーに乗って町へ出る道すがら、鰯漁の船が二艘網を漕いでいるのを見ることがある。鰯も少なくなり、鰯漁の船もめっきり少なくなって、今では見かけることも珍しい。ふた昔位前には、沖で追われた鰯が慌てて磯に堰(せ)き上がって、それを手掴みで拾う楽しみがあった。また、子供達が小さかった頃、夜波止を散歩していたら、暗い海原の白い砂の所を、大きな赤い頭を持った長いモノが泳いで来た事があった。二晩続けて目撃して、正体不明の生き物かと恐れをなしたが、翌日明るい懐中電灯で照らしてみたら、何と片口総の群れで、赤いのはその目が赤かったのだった。これにはその後二度と会えなかったが、夏の夜散歩に出る度、また会えないかと期待して海を眺めたものだった。
その頃はまだ、生ゴミは海に捨てていた時代。それを目当てに魚が機に寄ってきて、色々な魚がよく釣れた。まだ、小学生の子供達と百均の竹の竿に、父ちゃんのテグスを付けて貰い、針とその辺りで掘ったゴカイを着けて波止の二段から糸を垂らして、釣りをした。その頃はまだまだ魚影は濃くて、キス、メイボ、ギザミなど、子供の腕でもそこそこ釣れた。時には百均の竿が折れる位の、よく太ったアイナメが釣れたりして、子供は大興奮。煮付けにしたり、刺身にしたり新鮮で美味しい魚を当たり前のように食べていた。
子供が大きくなり、釣りもしなくなっていたが、最近突然釣りに目覚めた息子が時折釣りに戻って来る。百均の竿ではなく、リールについた一端の道具で、釣り場は子供の頃と同じ波止の二段。イヤイヤ、釣れん。勿論腕が悪いし、学ぶこともせんから、昔通り竿に糸があって餌を着けて海に投げたら釣れる積もりの釣り。魚も賢くなっているのだろう。私達親子には釣れりゃあせん。カサゴと茶色のギザミばかり。それでも釣れれば嬉しいので、飽きもせず釣り糸を垂れる。何も思わず海を眺めて、釣れるか釣れるかと待つ時間はそれなりに良い時間だ。それでも余りにも釣れないと、「あの頃のあのアイナメは何処に行ったんかね」などと、愚痴が出る。何の苦労も無く釣れていたあの時代。海を眺めていると、確かに魚影が少なくなっているのを感じる。何より稚魚の群れがない。色々な種類の稚魚が行き交っていた海では無くなっている。今年なんか、鯵さえ釣れないものなあ。夏の余りの暑さに魚達も参っているのかも知れない。生き残るのが難しくなっているのかも知れない。温暖化やマイクロプラスチックの問題で、魚達も生きにくくなっているのかも知れない。そんな事を話しながら、それでもたまに、ケガで釣れるアナゴやコチやアコウなどに気を良くして、飽きもせず釣り糸を垂れる日は続きそうではあるのだけど・・・。
(R5.11)
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