

釣り好き、じゃが魚は何処
フェリーに乗って町へ出る道すがら、鰯漁の船が二艘網を漕いでいるのを見ることがある。鰯も少なくなり、鰯漁の船もめっきり少なくなって、今では見かけることも珍しい。ふた昔位前には、沖で追われた鰯が慌てて磯に堰(せ)き上がって、それを手掴みで拾う楽しみがあった。また、子供達が小さかった頃、夜波止を散歩していたら、暗い海原の白い砂の所を、大きな赤い頭を持った長いモノが泳いで来た事があった。二晩続けて目撃して、正体不明の生き物かと恐れをなしたが、翌日明るい懐中電灯で照らしてみたら、何と片口総の群れで、赤いのはその目が赤かったのだった。これにはその後二度と会えなかったが、夏の夜散歩に出る度、また会えないかと期待して海を眺めたものだった。 その頃はまだ、生ゴミは海に捨てていた時代。それを目当てに魚が機に寄ってきて、色々な魚がよく釣れた。まだ、小学生の子供達と百均の竹の竿に、父ちゃんのテグスを付けて貰い、針とその辺りで掘ったゴカイを着けて波止の二段から糸を垂らして、釣りをした。その頃はまだまだ魚影は濃くて、キス、メイボ、ギザミなど、子供の腕でもそこそこ釣れた。時に
12 分前


盆を過ぎて、ふと気づくと
日が短くなっている。最終便が戻るとすぐに暗くなってしまう。ほんのこの前までは最終便で帰っても、ひと仕事出来そうだったのに。日が短くなると、地獄の劫火で炙られるような暑さも少しは和らぎ、汗だくの日々からも解放される。涼しい風に両手を広げて深呼吸したくなる。それは子供の頃には分からなかった感覚だ。 子供の頃は、お盆も過ぎて、涼風が吹くと言うことは、毎日出来ていた水泳が出来なくなる事であり、溜まりに溜まった宿題に向き合わなくてはならない時が来てしまったと認めなくてはならないからだ。日記もいつから書いてないだろう。その天気など今更分かろうはずもない。 それよりも難題は、読者感想文。まず、本さえも何を読むのかも決まってない。それに思ってもいないことを書かねばならぬ読書感想文なんか、大嫌い。読書感想文ってどうして、あの変な決まりがあったのでしょう。あの時代の事です。まず最初にあらすじを書く、次にそのこの辺りで、私はこう思いました。最後にわたしはこの本を読んで良かったと思います、で締める。流れも自分の考えでなく、決められたものを踏襲する。自堕落に生きていた、イ
1月15日


山の家
その昔、我が家は突然島の中腹に家を建て、引っ越した事があった。どうやらご近所トラブルで母が参ってしまって、逃げ出したものらしい。そんな事など一向に知らされぬまま、子供達は引っ越しとなり山の上から通学となった。家を出るのも、他の子供達より三十分くらい早く出なければならないし、寒い時や雨降りなど、細いくねくね道を一歩ずつ登るせんなさ。それでも、子供は慣れる。その内くねくね道をマンガを読みながら帰ったり、途中で野いちごを摘んだり楽しみもみつけた。が、帰っても親は居ない。父は船乗り、母は工事に出てまだ帰っていないのだ。そこで、帰るのが早い子が、ランプの灯を点ける。それは大概弟の役目で、次に妹、母、私の順で帰宅する。ある時、弟は海に落ちずぶ濡れになった。気の毒がったオジサンが親切に「ウチの風呂に入って帰れば」といってくれたのに、「すぐ母ちゃんが帰るからええ」と断って山の家に戻ったという。 帰った母ちゃんが喜ぶようにと風呂まで沸かして待っていたが、中々帰って来ない。自分は濡れて寒いのに母ちゃんと風呂に入ろうと待って待って、待ちくたびれた頃、ようやく母ちゃんは
1月6日


ほいかめさん
私の祖父は亀松と言います。通称かめーオジー。若い頃は随分ごっぽう者で、祖母を散々泣かせたそうです。遠洋の船を作って稼いでも、チャンリチャンリと皆使って戻り、一銭の金もない。昔はツケで買い物をしていて、それを盆正月にまとめて払う生活だったそうで、かめーオジーが戻ったら支払いをする積もりの祖母は途方に暮れる。盆が過ぎたら正月迄はまたツケで買わせてくれていたそうで、かめーオジーが戻ってから盆が明ける迄は外にも出られず家にかごうじょった(屈んでいた)と後年祖母が話していましたっけ。それに倣えで子供達も外で騒がしく遊んではならんと言い付けられて、窮屈な思いをしたらしい。そんな生活がそうそう続くものでもなく、遂には船も売ってしまわねばならなくなり、借金だけが残って冬の時代が続いたそうです。だから一家全員働きに働いて生きていた。大陸に出る者もいたし、働いただけのお金は全部親に差し出した孝行者もいて、大きな波を乗り越えた頃のかめーオジーの話。あるオジサンと仲間で、請負の仕事をしていた。 そのオジサンは苦労人で、貧しい暮らしで学校にも行けなかったそうで、字は少し読
2025年12月15日


やいとぉ
子供の頃、法事などで人が集まる時、日頃と違う雰囲気にはしゃぎ回るのは子供の常で、料理を作ったり、座布団を並べたりする大人の間を走り回る。最初こそ笑いながら「おとなしゅうせちょかんにゃあ」と声を掛けるも一向に止まない子供らに、日頃口数の少ないジーさんが「おとなしゅうせんにゃあ、やいとぉすえるでよ」と一喝。その言葉に子供達、一瞬にして動きが止まる。年嵩の子供達はしおしおと隅に行き、小さい子達はキョトンとしながらも、大きな子達に倣って隅にかたまる。 やいとぉ、お灸の事だ。こうした時、大人達はかんの虫を抑えるとされていたツボに灸をすえて、見せしめとしたきらいがある。ある時私は大人2人に押さえつけられて、灸をすえられた男の子を見た事がある。「やらんけん、はあやらんけん」と言いながら泣く子の拳固の小指だったか、人差し指だったかの曲げた第一関節の上に百草(もぐさ)を置いて火をつけられた途端、ギャーと言いながら泣くのも忘れて火の着いた百草を睨んでいた男の子。大人になって考えると、その百草は凄く小さくてじきに燃え尽きてしまったのだけれど、子供に取っては大人2人に押
2025年12月1日


つづの木の道
しまの墓参の道の側にある林から道の上に伸びる木の中に、つづの木がある。秋になると薄黄色の透明感のある実を落とす。その実の中には、真っ黒で硬い種があり、薄黄色の皮を破って黒い種が道に転がっていることもあり、それを見て母がいつも「あら、つづが落ちちょらあ」と言って黒い種を手に取る。その度に「この種が羽つきの、あの羽の下の黒いところなんでの」と言うのが常だった。 毎年それを聞きながら大きくなった私は、ある年その実を拾って帰り、硬い種に釘で少しづつ穴を開けた。その硬いこと硬いこと。不器用な子供の手では中々穴は穿(うが)てず、浅い穴が少し開いただけで、良しとする。この頃から私は自分に甘い。そこで、次は羽だと言うことで、飼っていた鶏小屋に行き、その辺りに落ちている汚れていない羽を拾ってきて、くだんの穴に挿そうとするが、穴は浅いのでとてもじや無いが羽は脚の部分も隠せはしない。尤(もっと)も子供の知恵なんだから、羽の足元を切るなどという事にも気づかない。あしの長いままつっ込もうとするものだから、足元の覗いた羽が生えたような不恰好な物しか出来なかった。それでもそれ
2025年11月15日
